猫屋敷.com釣りキチダンナと猫キチニョーボが猫屋敷を舞台に繰り広げるドタバタ日記

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僕の大好きな沖縄です。 | 釣りキチダンナと猫キチニョーボが猫屋敷を舞台に繰り広げるドタバタ日記

2001年6月7日

あ〜沖縄は良い最高だ。
いざ沖縄へ
今回は折りタタミ自転車を使うので、飛行機とバスとの連携を考え、成るべく身軽に動けるように、テントとか野営道具を持たずに安宿を使っての沖縄ツーリングを考えた。広島空港に着き、折りタタミ自転車が15キロそして釣り具等危険物3キロを預けねば成らない。「お手荷物は、機内持ち込み分を含め、お一人様15キロ(10キロ)まで無料です。」とサービスガイドに唄ってあり、預ける荷物だけでも3キロオーバーなのだが、係の人が荷物一つ一つを計る?荷物一つが15キロを越えて無いので超過手荷物料金は頂かない?という。どう解釈して良いのやら解らないが、「まあイイか!タダだし」。久々に飛行機に乗るので興奮する。離陸するときの圧迫感がたまらん。機内でも沖縄特集を放映してて、水着ギャルが白いビーチを這いずり廻って・・・イカすぜ沖縄。沖縄空港で荷物を受け取り名護市行きの高速バスに乗車する。車内の荷物置き場に自転車を置き名護まで約2時間の間、暇なんで人の迷惑顧みず、携帯から、「みんな働いてるのかあ〜すまねえ俺だけ、お・き・な・わ」というメールを送りまくるのだった。名護バスターミナルで自転車を組み立て走り出す。小雨が降ったり止んだりするが、合羽を着ずに走れそうだ。峠を越えて名護東岸をめざす。「予想以上やん、キツイぞ」20インチ自転車がそうさせるのか、自分の体力が無いということなのか、約10キロを1時間半掛けてしまう。峠を越えて海岸線を走ると今日からしばらくの間、寝床となる「海と風の宿(以下海風)」に到着する。宿の台所では夕食の準備が進められている。ここでは飯代を出し合い自炊による食事制となっている。早速600円をカンパし、夕食の準備を手伝う。あまり役に立ってないに違いないが、何となく手伝ってしまった。600円の割に沖縄料理を織り交ぜた豪華な食事が食卓を彩る。うまい!作れる人は作るんだよなあと感心する。夕食を食べ尽くし、後かたづけを始める。せめて後かたづけに貢献しようと洗い場を占拠し、皿洗いを始める。その間にもテーブルには泡盛と氷、つまみが用意され、ボチボチ夜会が始まっていた。いつの間にか師匠が訪れ弟子たちに三線の手ほどきをしている。安波節やら芭蕉布を聞きながら泡盛をやっていく、自分が加わった輪の中では沖縄・離島の話や情報交換で盛り上がる。気が付けば日付はとうに過ぎていた。そして沖縄に着いたばかりというのに、もう離島の事を考え始めているのだった。

2001年6月8日

今帰仁城跡です。登ってはいけません。
今帰仁城跡
今日も雨、なかなか梅雨が明けない。昨日、泡盛宴会で盛り上がった輪の中の一人、車で来ているOさんが那覇市に帰るという。「名護に寄りませんか?載せてって〜」となかば強引にお願いする。「今日は何処まで行くんです?」とOさんが聞いてくる。今帰仁城跡を見て、後はバスと徒歩でブラブラしようと思ってる事を告げると、「いいですよ!今日は暇ですから今帰仁城跡まで行きましょう。」とありがたきお言葉を頂き、行き先は今帰仁城跡となる。車は名護を経由して今帰仁城跡に向かう。Oさんは自分と同じ職種(土木設計)をされていたが今は、仕事を辞められて・・・つまり自分と同じ状態となっている。そんな経緯もあり「那覇でいっちょ飲みますか。!ええ所連れてって下さいヨ」ということになる。車は今帰仁城跡に到着、「それじゃあ、どうも!那覇に着いたら連絡しますね。有り難うございました〜」とお礼を言い、車が去っていくのを見送った。入口で150円を払っていよいよ今帰仁城跡見物となる。グスクは琉球王朝以前、沖縄各地には地方の領主が多数存在していた。グスクはその居城跡といわれ、石塁などで構築された石垣が連なっている。この今帰仁城跡は三山時代の北山王の居城跡で、県内最大の敷地を誇っている。難攻不落といわれたが、のちの中山王・尚巴志によって滅ぼされたとある。本丸跡からは東シナ海の素晴らしい眺望が楽しめるらしいが生憎の雨模様である。晴れた日には伊是名島、伊平屋島から与論島まで見渡せるという。平郎門を抜け、開いているのか開いてないのか良く判らない土産屋の前を抜けて坂道を下って行く。国道に出てバス停を発見するが次のバスが来るまで1時間以上あるので今帰仁村まで歩くことにする。サトウキビ畑の道を進む、たまに村落のスーパーを見つけては何か変わったモンでも無いかなあと物色する。スーパーにはゴーヤが山積みされてたり、ロウニンアジのぶつ切りパック詰め、山羊のミルクとかあったり、なかなか沖縄です。
良く引きました。
テラピア
今帰仁村に着いたのは正午過ぎだった。バスの来る時間を確認して近くの川(河口)で釣りを始める。川は濁りが入っていて釣れる気配はあるが釣れない!魚は居る、よけ〜居る・・・スレてるのか?ルアーじゃ釣れない魚なのか?半ば諦めムードでルアーを投げながら少しづつ移動して行くと急に竿が持ってかれる。「何、何か釣ってもうた!鯉か?」と思うと鯉にしては体高があり、違うようだ「これがテラピアかあ〜結構デカイ、偉いことになったもうた。」40センチ越える大物を釣り上げる。聞いてはいたけど、すげーゴッツイ魚!南国の魚というかジャングルなフィッシュなのだ。このテラピアは沖縄の川の河口(汽水域)なら何処にでもいる魚で食用を目的とし持ち込まれた外来魚ということらしい。とりあえず、沖縄最初の一匹をつり一安心なのだ。テラピアの風貌にビビってしまい(笑)納竿するのだった。

2001年6月9日

こんなのも有りました。
シーサー
近くの漁港でガーラが小魚を追って跳ねまくってる!
というのを聞いた。その様子を見ておく必要があるな!釣人として。ガーラというのは沖縄の呼び名でロウニンアジのこと。海のルアー釣りの人気魚でGT(ジャイアントトレバリー)とも呼ばれている。三十センチくらいのメッキと呼ばれる小型なら釣れるかもしれないと聞いていたのだが、その漁港にいる魚は六十センチはあるという。長さだけでも倍、重さやパワーなんか桁ちがいだろう。持ってくる竿を間違えてしまったというか、そんな大物に耐えうる様な竿や仕掛け持ってチャリツーリングは出来ないと思うのだが、ともかく見に行かねばならない。
こんな感じでお気楽に釣ってました。
釣人
自転車に乗って出掛けようとすると乗り心地がおかしいことに気が付いた。「ありゃ!後輪がパンクしてる。」出鼻を挫かれた。まあバイクのそれよりかは、楽だし・・・修理に取りかかる。修理を宿の庭先で出来たのは幸いだ、パンク直して再び走り出した。漁港に到着し防波堤に歩いていくと先端で、バッコンバッコンと何やら跳ねてまくっている。ガーラが小魚を捕食しているのだ、いつもなら大慌てでルアーをぶち込んでいるとこだが、竿は小さい、糸は細い、ルアーは小さい。竿の代わりにカメラを用意して堤防先端に近づくと三匹のガーラが泳いでるのを肉眼で確認。「げっ!まじデカイ」ガーラの群は自分の足下を泳いでいたが、しばらくすると見えなくなった。さすが沖縄・・・

2001年6月10日

真赤ですね!
シーサー
自転車に乗って出掛けようとすると乗り心地がおかしいことに気が付いた。今度は前輪がパンクしていた。まさか二日続けてパンクしようとは思ってもいなかった。海風の庭先でパンク修理をして一休みしてると、近所のオバア(沖縄ではこう呼んでいた)がやって来た。いち早く、暇そうにしている自分を見つけると手招きしてる。「ありゃー!捕まっちゃたか」と、何となく照れながらオバアの座ってるテーブルの正面に腰掛ける。それからはオバアの独壇場で、殆ど自分は合いの手を入れるだけなのだ。1時間位の間、オバアは、沖縄の巫女をしている事、本土に行ってる息子さん達の事を、楽しそうに話し続ける。本当に楽しそうに話されるのでこちらも何だかやぶさかではないのだ。オバアは昼飯時になり帰っていった。自分も昼飯を食べに自転車で出掛ける。海風の近くにある「ひまわりHOUSE」に行ってみると、海風に泊まってる連中が居たので同じテーブルに着いた。大学生の女の子はそーきソバを、毎日釣りしてたおっちゃんはトンカツ定食を食ってる。どちらも美味そうだがメニューに店の名前を使ってる「ひまわり丼」を注文する。それは、沖縄風の中華丼みたいなので、とにかく味も量も満足の一品だった。
コトヒキ
南国の魚
ひまわり丼を汗かきながらも食った後、テレビでちゅらさん見ながらくつろいでいたが、三人はそれぞれ動き出す。釣人のおっちゃんは昼過ぎのバスで帰っていった。大学生の女の子はそこら辺でブラブラするという。自分は再び自転車に乗って出掛ける。それにしても今日は暑い快晴なのだ、予報では曇りか雨だったはずだが梅雨の晴れ間とでも言うのだろうか、日差しが差すように痛い。あっと言う間に腕が真っ赤になる。雨予報だったんで油断して、日焼け止めも海風に置いたままで持ってきてないのだ。もうこうなったら手遅れ、焼けるだけ焼いてしまう。とりあえず漁港に行ってみたが、今日はガーラは居なかった。その後は海岸線を走り、良さそうな砂浜の木陰に成ってる所を見つけ寝ていたが、溜まってる洗濯物を思い出し海風に戻り洗濯を始めた。洗濯物をやっつけて、汗もかいたし暑いしシャワーを浴びてスッキリする。海風に置いてある漫画を読んだりゴロゴロ過ごす。何故かベルセルクにハマッテしまう。帰る前に全部読んでしまおうと思ったら抜けてる巻がある。すごく気になる!家に帰ったら古本屋にでも行って探さねば。夕食を済ませると今宵も泡盛をはじめるのだった。海風は泡盛飲み放題!もちろんタダ、四晩連続で泡盛ばっかり飲んでたんで結構酒代浮いたよなあ。それにしても泡盛ってイイよなあ〜。

2001年6月11日

象に見えますか?
万座毛
泡盛で重くなった腰をあげて那覇に向けて移動する。朝も早くから起き出して長いことお世話になった海風に別れを告げる。とりあえず、峠を越えて名護に出るのだ。反対側から登ると結構キツイ!歩道もなく路肩の狭い峠道を登って行く。今日はそれ程の移動ではないので、休みながらでもゆっくり進めばイイので気も楽だ。二見入口から国道となり広い歩道が設置されているのでそちらを走る事にする。相変わらず登坂は続くが車を気にしなくて良くなった。しばらく走ってると茂みの奥の方で野良犬がこちらを威嚇している。しかも数匹追跡してきているようだ、「こんな登坂で逃げ切れんな」戦わねば成らないようだ「男は負けると分かっていても戦わなければ成らない時がある」野犬の追撃を振り切ると峠も下りとなり、ペダルを漕がなくても自転車は重力のおかげで進むようになる。自転車の至福、心地良い風を切りながら走るとやがて名護湾が見えてきた。海と青い空を見ながら恩納村方面に進む。雨予報のはずだが、容赦無い日差しが照りつけてくるようになる。何でも沖縄という所は紫外線が強いうえにオゾン層が無い所らしく、日焼けには充分気を付けなければ成らないが、昨日の時点からもう手遅れ状態なのだ。水分補給をしたいが海岸線に出てから何も無くて、ようやく道の駅を発見して逃げ込んだ。駅内で冷房に当たりながら休憩してブラブラする。催し物広場の一角でTシャツが飾ってあり、それを見ていると、アステカ人が話し掛けてきた。(本人はアステカから来たとしか言わないので、そういう事にした)アステカ人はTシャツを自分に売りつけてくる。なんでも今日で店じまいで東京に帰るというのだ、しかも格安切符を使って。ん!やけに話が通じると思ったらコイツ日本語喋ってるじゃん?「怪しいなあ、よし買う!」更に店じまいで安くするからもう一つ何か買ってくれと言うので、パンパンに膨れ上がったザックを見せて「もう入らないよ」と告げると、残念そうに諦めるのだった。
万座ビーチホテル1泊>沖縄全泊
あれが有名な万座ビーチホテルです。
再び那覇方面に向けて走りだすとビーチが至る所に見えるようになる。海側の歩道を走ってると誰もいないビーチとか結構あるのが判る。何処でも泳げそうだが、やはり水着のねーさまの居る名のあるビーチのほうが俺はイイ。そんな事を考えて走ってると何時の間にやら万座毛だ。万座毛というのは、なんでも時の国王、尚敬が「万人を座するに足る」と称賛したことからついた名前らしい。切り立った隆起サンゴ礁から、コバルトブルーの壮大な海を望むことが出来る。毛というのは芝の事を言ってるとかで、海の青と緑のコントラストを際立たせている。午後から雲行きがおかしくなり一雨来そうな臭いがする。少し早いが、宿に入ってしまうことにする。今日の寝床は南恩納YHなのだ、誰かいるかなと思ったが自分一人だった。そういえば今日は平日だ、長いこと旅に出てると曜日という感覚もおかしくなってくる。

2001年6月12日

人が居なかったので
琉球村にて
沖縄の盆踊りか?
エイサー
昨晩YHで観光、坂の情報を入手した。今日も南恩納YHに泊まるので、必要な荷物だけザックに背負って持っていく。荷物が少なくなったので登坂能力も上がる。やはり、折り畳み自転車を使うツーリングは荷物を置ける(ベースとなる)宿や天場を決め、そこを基点に動いた方が良いみたいだ。ダイビングショップやお土産屋、観光ホテルが軒を連ねる町中を抜けると坂を上り始め旧道らしき道に入って行き琉球村に着いた。琉球列島にある各地の古い建物を移築して後世に伝えるため大切に保管するというのがこの施設の目的という。入村料を払い村に入っていくと、入ってすぐの広場でエイサーをやっていた。エイサーとは古くから八月の旧盆に沖縄各地で踊られてきた沖縄独特の念仏踊りのことで、パーランクと呼ぶ半胴鼓などを叩き、琉球の民族衣装を着た人達により多人数で踊られるものである。その踊り手達が旧盆の直前、国際通りの1マイルに一堂に集まり大エイサー踊り大会になるのが「1万人エイサー踊り隊」なのである。これは那覇市の一週間にわたるエイサー祭週間のフィナーレを飾る催しでもあり、国際通りはその日エイサー踊りのパレードで埋め尽くされるという。これが見れたらよかったんだけど、今年は八月五日だそうで残念ながら見ることは叶わない。琉球村のエイサー、村遊びを見ていると、一人、また一人と踊り始める人が出てくる。何か知らんが何時の間にやら大盆踊り大会みたいになり、自分も何となく踊りに加わってしまうのだった。あ〜沖縄って楽し過ぎだ。
塀があったので登ってみました。
座喜味城跡にて
琉球村から再び国道に戻り再び坂を上る。キロロの出身高、読谷高のところで右折して残波岬方面に向かう。途中、南恩納YHで聞いておいた花織そば店に入る。本当は野菜そばといってボリューム満点の大盛りそばを食べるつもりだったんだけど、ずーっと暑い中自転車漕いできているので少々つらい。かわりに店の名でもある花織そばを食べることにしたのだが、これがまた美味くて今回のツーリングでの沖縄そばで1番に輝いた。昼飯を済ませ、再び走り出すと座喜味城跡への案内板を見つけそっちの方に入っていく。沖縄の城というのは大抵は高い所に建っているのだ。この座喜味城も尚巴志の北山攻略時に活躍した山田城主・護佐丸が旧勢力を見張る目的で築いた城だけあって高い所まで登っていく。座喜味城跡周辺は公園となっていて緑も美しい。今日は天気がイイ、暑すぎるくらいで城壁の上からは絶景の東シナ海を一望する事が出来た。県道をはずれて残波岬を目指して行く。灯台と記念碑しかないだろうが、「そこに岬があれば行かねばならない。」のだ。しばらく残波岬公園でブラブラしていたが、そろそろ折り返す事にする。海岸線のアップダウンを楽しみながら南恩納村YHへ帰るのだった。YHに帰る途中、雑貨屋に入りオリオンビールを数本抱えてレジに持って行くと、雑貨屋の暇そうにしているおばちゃんが島唄を口ずさんでいた。やっぱり沖縄はいい〜。

2001年6月13日

入場料がいるので行ける所まで行きました。
首里城
那覇市を目指し自転車を漕ぐ、今日もイイ天気!成るべく日陰の多い午前中に移動しようと思い、朝早く南恩納YHを出発した。というか午後になると、とてもじゃないが暑くて走れたもんじゃない。嘉手納に出ると陰のある所が少なくなり、暑くてたまらんので、コンビニを見つけては水分補給と冷房休憩の繰り返しとなる。北谷、宜野湾と基地の中を走っているような感じでこうなれば日陰を求める事も叶わなくなる。フェンスの向こうでは星条旗が揺れている。浜田省吾の唄を思い出し口ずさんでみた。フェンスの頂部付近は有刺鉄線が巻き付けられて、「立ち入り禁止軍用犬巡回区域」と書かれたボードがフェンスに取り付けられている。那覇には正午過ぎに到着し、海風で知り合ったOさんに連絡する。「今、那覇に着きました!今晩、どっか美味い物食いに連れてってくださいよ〜」と、話してるうちに「今から何処かに行きましょうか?(O)」。「ひめゆりの塔に行きたいんですよ!(せ)」そう絶対に此処には行かないといけない。例えるなら”広島に来て原爆ドームに行かない”ようなものだ。Oさんの車はいざ南部を目指す。沖縄戦で従軍看護婦として日本軍と共に散った「ひめゆり学徒隊」の遺骨を祀った慰霊塔があり、訪れる人々に悲しみを伝えている。併設のひめゆり平和祈念資料館には生存者の証言集があり、読んでいると、ちょっとツラくなってくる。沖縄を訪れることがある人は、ひめゆりの塔を訪れて欲しいと思います。慰霊塔には献花を供える事が出来るので是非供えてあげて下さい。それから沖縄南部を一周してから首里城を訪れる。中国、東南アジアの文化が入り交じった琉球王国の栄華が誇る首里城は、あざやかな朱塗りと装飾が美しいグスクなのだ。琉球王国の顔とも言える正殿に至る道は、荘厳な石垣と数々の美しい城門が待ち受けており、門をくぐるごとに古の琉球が蘇る。正殿は琉球王国最大の木造建築で、多くの龍に会うことが出来る。なんでも龍というのは国王の象徴ということらしいのだ。首里城を出ると日も暮れてきて、那覇夜の部に備えて今日の宿「柏屋」に荷物を置きに行く。お世辞にもキレイとは言えない柏屋は長期滞在貧乏旅行者の溜まり場みたいな感じが良い。シャワーだけ浴びて国際通りに出掛けて行った。再び合流したOさんに居酒屋「ゆうやけ広場」へ連れて行かれる。此処は値段もリーズナブルで良いのだが、入ってびっくり!店内は各所にテレビが置いてあり、いわゆる「昔懐かしの・・・」というやつを放映しまくっている。「スケバン刑事の初代って斉藤由貴だったけ?」「三代目って忍者だったんだよなあ」とか話ながら沖縄珍味と泡盛で盛り上がる。那覇の夜はまだまだ続く、いざタクシーを捕まえOさんの師匠?の待つスナックに向かう。でもその先は記憶が無いので書けないのだった。あ〜またヤッてしもうたかなあ!

2001年6月14日

見てのとおりです。
柏屋の朝
あ〜頭痛て!」朝九時起床、昨晩は泡盛天国だったので少し遅めの朝なのだ。柏屋の朝は誰一人として起きようとしない・・・カビ人間ワンダーランド状態だ!それでも何とか起き出し、空港に向かおうと国際通りまで出ると雨が降りだした。しばらく雨があがるのを待っていたが、今日の天気予報では雨マークがついていた。一日中こんな感じで雨が降ると思われ、自転車を折り畳んでバスで空港に行くことも考えたが結局カッパを着込んで空港を目指し自転車を漕ぎ出す。面倒だが今日の広島行きの便を取ってるので行くしかないのだ。十二時空港着、自転車を折り畳み搭乗手続きを済ます。手荷物超過料金は、又しても獲られず・・・というか計りもしない?本当は預け荷物だけでも3Kオーバーなんだけどね!では帰りま〜す。帰ったらOさんにお礼のメール送っておこう。

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